街道を歩く 西国街道 道しるべ
西国街道 道しるべ
京都(東寺口)から大山崎、高槻等、淀川右岸を通り、大坂を経ないで西国(下関、九州まで)へ至る江戸時代の重要な幹線道路である西国街道。京都から神戸まで、西国街道に残る道しるべについて、わかる範囲でできる限り詳しく調査し、写真および銘文等をまとめました。街道を歩きながら道しるべを探してみてください。
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乙訓郡大山崎町
76.淀道標
所在地 乙訓郡大山崎町円明寺夏目 銘文(正) 左 よど 銘文(右) すぐ きつねわたし 銘文(左) すぐ やなぎ谷/大坂/万人講内/吹田屋源房 高さ(cm) 82 材質 花崗岩 形式 角柱 備考 上部欠損
大山崎町中央公民館中庭に移設。調査日 2023年3月9日 -
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乙訓郡大山崎町
77.神木浜道標(推定)
所在地 乙訓郡大山崎町円明寺夏目 銘文(正) ~き浜 銘文(右) ん/▢ 銘文(左) 山さ~/よ□ 銘文(背) 施主~ 高さ(cm) 28.5 材質 花崗岩 形式 角柱 備考 上部欠損
大山崎町中央公民館中庭に移設。調査日 2023年3月9日 -
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乙訓郡大山崎町
78.道標(近代)
所在地 乙訓郡大山崎町円明寺夏目 銘文(正) ~方面 銘文(右) ~都方面/~方面 銘文(左) ~光課 年紀 近代 高さ(cm) 64 材質 花崗岩 形式 角柱 備考 上部欠損
大山崎町中央公民館中庭に移設。調査日 2023年3月9日 -
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長岡京市
79.あたご道とたんば道を示す道標
所在地 長岡京市調子 銘文(正) 右 あたご道 左 たんば道 銘文(右) 元禄十二年卯巳九月廾四日大坂住伊兵衛 年紀 元禄十二年 備考 建立者 大坂住伊兵衛 調査日 2023年3月9日 -
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長岡京市
80.西国街道道標
所在地 長岡京市友岡 銘文(正) すくやなぎ谷 右ハあたご 左 山さき 銘文(右) 右 やなき谷 左 よど 銘文(左) 右 よと 左 やなき谷 銘文(背) すくよど 大坂万人講ノ内 高さ(cm) 61 形式 丸頭角柱 備考 建立者 大坂万人講
調子の瑞泉寺から友岡の如圓寺へ斜めに向かう道と西国街道との交差点にたつ。調査日 2023年3月9日 -
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長岡京市
81.西国街道道標
所在地 長岡京市開田 銘文(正) 長岡より山さき江 かけぬけ道 銘文(右) 右 長岡京天満宮 やなき谷 道 銘文(左) 左 京ミち 広田市兵衛建之 高さ(cm) 142 形式 錐頭角柱 備考 建立者 広田市兵衛
一里塚幼稚園東の角にたつ。(市役所前交差点)調査日 2023年3月9日 -
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向日市
82.五辻の道標
京都市歴史資料館情報システム「フィールド・ミュージアム京都」によれば、京都市では昭和5年(1930)に日本の自治体で最初の観光部局である観光課を設置し、昭和10年代を中心に観光地道標を多数建立しており、そのころの設置とみられる。
所在地 向日市向日町南山 銘文(正) 右 粟生、善峰、柳谷方面/左 長岡、山崎、大阪方面 銘文(左) 右 京都、嵐山方面 銘文(背) 京都市観光課 年紀 昭和 高さ(cm) 106 形式 方柱型 備考 建立者 京都市観光課
五辻の常夜灯前に建立調査日 2023年3月9日 -
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向日市
83.灰方、金蔵寺への道標
所在地 向日市寺戸町梅ノ木 銘文(正) 右〈灰方 伺地蔵/岩蔵観世音〉道 銘文(左) 灰方上ノ町/聖徳院信者中 高さ(cm) 54 形式 方柱型 備考 建立者 灰方上ノ町 聖徳院信者中 調査日 2023年3月9日 -
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向日市
84.宝菩提院への道標
「ほうぼだい院」は、向日市寺戸町西野にあった7世紀創建の天台宗寺院・宝菩提院である。「観世音」は同寺の本尊だった国宝・菩薩半跏像のことで、国宝のなかでも殊に美しい仏像として名高いが、昭和37年(1962)に西山の勝持寺(花の寺)に移され、昭和39年(1964)、宝菩提院はいったん廃寺となった。現在は勝持寺の隣に再興された宝菩提院願徳寺に帰座されている。
所在地 向日市寺戸町梅ノ木 銘文(正) ほうぼだい院観世音西三丁 高さ(cm) 145 形式 方柱型 調査日 2023年3月9日 -
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向日市
85.淳和天皇陵、桓武天皇皇后陵への道標
「淳和天皇御陵」は京都市左京区大原野にある。淳和天皇自身の遺詔により物集村で火葬され、西山嶺上で散骨された。「桓武天皇皇后御陵」は向日市寺戸町大牧にある。桓武天皇の皇后・藤原乙牟漏の陵墓に治定されているが、伝高畠陵古墳とも称され、考古学的には古墳時代前期の円墳と考えられている。
所在地 向日市寺戸町梅ノ木 銘文(正) 淳和天皇御陵右へ二里/桓武天皇皇后御陵左七町 銘文(背) 大阪皇陵巡拝會 高さ(cm) 158 形式 方柱型 備考 建立者 大阪皇陵巡拝會 調査日 2023年3月9日 -
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