地域連携事業 古の「みやこ」編ポイント紹介

古の「みやこ」編ポイント紹介

  • 平安京

    40.斑鳩神社

    社伝によると、朱雀天皇の天慶年間(938~947)に、興福寺僧で法隆寺別当を兼務していた湛照僧都が菅原道真を祀ったとされ、また、この湛照僧都は、菅原氏の後裔といわれています。明治初めの神仏分離令により、法隆寺から離れ、法隆寺村(現在の斑鳩町東福寺、法隆寺辺り)の鎮守社となりました。

    所在地 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺北1丁目11−13

    奈良県 文化・教育・くらし創造部 文化資源活用課いにしえのMAP

  • 平城京

    34.史跡正道官衙遺跡

    8世紀前半~9世紀前半の大型建物群が方位をあわせて計画的に配置され、奈良時代の山背国久世郡の郡役所跡と推定されています。庇をもつ最大の中心建物が庁屋、その後方に副屋と正倉、前面に東屋と向屋、南に門を配置します。整備を行い、建物を一部復元しています。

    年代 750
    所在地 京都府城陽市

    京都府観光連盟本部事務局いにしえのMAP

  • 平安京

    37.京都御所

    京都御所は、明治維新まで天皇のお住まいであり、桓武天皇が794年に平安京に都を移されたのが始まり。古来の内裏の形態を保存しており、現在のものは1855年の造営。紫宸殿は平安時代の建築様式で、清涼殿、小御所、御学問所、御常御殿など平安時代以降の建築様式の移りかわりを見ることができる。

    所在地 京都府京都市上京区京都御苑3

    宮内庁いにしえのMAP

  • 平安京

    38.石清水八幡宮

    貞観元年(859)、僧侶・行教が九州の宇佐八幡宮で「都の近くに移り国家を鎮護する」という神託を受け、男山山頂に八幡神を勧請したことが起源とされる。鎮座する男山は平安京の裏鬼門の位置にあたる。
    また、国宝石清水八幡宮本社は、現存最古で最大規模の八幡造。

    年代 859
    所在地 京都府八幡市八幡高坊30

    石清水八幡宮いにしえのMAP

  • 平安京

    39.高良神社

    男山麓の石清水八幡宮頓宮南側に位置する神社で、貞観2年(860)に僧侶・行教によって建立されたと伝わる。京都仁和寺の法師が石清水八幡宮本殿に参詣に来たが、誤って高良神社に参詣したという有名な逸話が兼好法師の『徒然草』に登場する。社殿は慶応4年(1868)鳥羽伏見の戦いによって焼失したが、明治17年(1884)に再建。

    年代 860
    所在地 京都府八幡市八幡高坊30

    八幡市観光協会いにしえのMAP

  • 平安京

    41.長谷寺

    創建は奈良時代、8世紀前半と推定されています。平安時代になると参拝者が絶えず、藤原道綱母(「蜻蛉日記」の作者)や菅原孝標女(「更級日記」の作者)が訪れ、藤原道長も7日間参篭したとされます。

    年代 1000
    所在地 奈良県桜井市初瀬731−1

    長谷寺いにしえのMAP

  • 平安京

    42.石上神宮

    第72代白河天皇が、石上神宮の行事鎮魂際(ちんこんさい)のために、永保元年(1081)に宮中の神嘉殿(しんかでん)を寄進されたと伝わり、現存する拝殿としては最古のもので国宝。
    応仁の乱で焼き尽くされた京の姿を現在に偲ぶことができる「リアル平安京」。

    年代 1081
    所在地 奈良県天理市布留町384

    天理市観光協会いにしえのMAP

  • 平安京

    43.浄瑠璃寺

    寺号は、三重塔の内陣に安置されている薬師如来の浄土「浄瑠璃世界」からきています。池を中心にして、東に薬師仏、西に阿弥陀仏を配した庭園は極楽世界をこの世に表わしたもので、本堂は横に長く九体の阿弥陀如来を安置しています。平安時代には京都を中心にこのような堂も 30以上あったと云われますがすべて失われ、当時のまま現存するのはここ浄瑠璃寺だけです。

    年代 1107
    所在地 京都府木津川市加茂町西小札場40

    木津川市観光協会いにしえのMAP

  • 平安京

    44.旦椋神社

    観音堂地域の産土神で、本殿は全国的にも例の少ない二間社流造で、近世には東半分が冑大明神、西半分が天満宮の2社を祀っていたと推定されます。『久世郡神社明細帳』には冑神社とあり、祭神は平氏討伐の兵を挙げて破れ、光明山(木津川市山城町)で討ち取られた以仁王と、菅原道真の2神となっています。現在の本殿は、17世紀前半の建築と推定されています

    年代 1180
    所在地 京都府城陽市観音堂田畑1-12

    城陽市観光協会いにしえのMAP