地域連携事業 古の「みやこ」編ポイント紹介

古の「みやこ」編ポイント紹介

  • 平城京

    31.東大寺 大仏殿

    大仏殿は、東大寺の金堂。大仏造立は、聖武天皇が災害や政変、反乱など社会が不安な時代、生きる全てのものが栄えるようにと発願された。
    大仏殿は、1195年と1709年に再建された。

    年代 745
    所在地 奈良県奈良市雑司町406−1

    華厳宗 大本山 東大寺いにしえのMAP

  • 平城京

    32.唐招提寺

    平城京の面影をとどめる唐招提寺は、天平宝字3(759)年に、鑑真大和上が、「唐律招提」と称する戒院として教学の場を営んだことが始まりです。当初は、講堂や経蔵、宝蔵などがあるだけでしたが、弟子の一人であった如宝らの尽力により金堂や東塔が建立され、伽藍全体が完成した際に「唐招提寺」となりました。

    年代 759
    所在地 奈良県奈良市五条町13−46

    唐招提寺いにしえのMAP

  • 平城京

    33.足立寺史跡公園

    男山の西南で発掘された古代寺院跡が西山廃寺である。その位置等から奈良時代の有名な役人・和気清麻呂が建てた足立寺(そくりゅうじ)といわれている。元の位置は、この場所から西南50mの辺りとされるが、発掘調査時に発見された塔やお堂の礎石、瓦窯跡を現在の位置に移築している。

    年代 750
    所在地 京都府八幡市西山和気1−5

    いにしえのMAP

  • 平城京

    34.史跡正道官衙遺跡

    8世紀前半~9世紀前半の大型建物群が方位をあわせて計画的に配置され、奈良時代の山背国久世郡の郡役所跡と推定されています。庇をもつ最大の中心建物が庁屋、その後方に副屋と正倉、前面に東屋と向屋、南に門を配置します。整備を行い、建物を一部復元しています。

    年代 750
    所在地 京都府城陽市

    京都府観光連盟本部事務局いにしえのMAP

  • 長岡京

    35.長岡宮跡

    長岡宮跡は、延暦3年(784)に平城京から遷都され、延暦13年(794)に平安京に移るまでの10年間、乙訓(おとくに)の地に営まれた都・長岡京の中心部です。宮域はすべて現在の向日市域にあり、大極殿跡や朝堂院跡が国の史跡に指定され、公園として整備されています。

    所在地 京都府向日市鶏冠井町山畑22

    長岡京市埋蔵文化財センターいにしえのMAP

  • 長岡京

    36.御園神社

    延暦6年(787)に桓武天皇が行幸の途中、この地で猟遊していたところ、「この地に社殿を造営し、春日神をお祀りください」という神託があり、創建されたと伝わる。本殿は京都府指定文化財。ずいきの他約30種類の青果を神輿に飾りつける「ずいきみこし」が毎年10月の例祭に合わせて巡行する。

    年代 787
    所在地 京都府八幡市上奈良御園9・10合地

    八幡市観光協会いにしえのMAP

  • 平安京

    37.京都御所

    京都御所は、明治維新まで天皇のお住まいであり、桓武天皇が794年に平安京に都を移されたのが始まり。古来の内裏の形態を保存しており、現在のものは1855年の造営。紫宸殿は平安時代の建築様式で、清涼殿、小御所、御学問所、御常御殿など平安時代以降の建築様式の移りかわりを見ることができる。

    所在地 京都府京都市上京区京都御苑3

    宮内庁いにしえのMAP

  • 平安京

    38.石清水八幡宮

    貞観元年(859)、僧侶・行教が九州の宇佐八幡宮で「都の近くに移り国家を鎮護する」という神託を受け、男山山頂に八幡神を勧請したことが起源とされる。鎮座する男山は平安京の裏鬼門の位置にあたる。
    また、国宝石清水八幡宮本社は、現存最古で最大規模の八幡造。

    年代 859
    所在地 京都府八幡市八幡高坊30

    石清水八幡宮いにしえのMAP

  • 平安京

    39.高良神社

    男山麓の石清水八幡宮頓宮南側に位置する神社で、貞観2年(860)に僧侶・行教によって建立されたと伝わる。京都仁和寺の法師が石清水八幡宮本殿に参詣に来たが、誤って高良神社に参詣したという有名な逸話が兼好法師の『徒然草』に登場する。社殿は慶応4年(1868)鳥羽伏見の戦いによって焼失したが、明治17年(1884)に再建。

    年代 860
    所在地 京都府八幡市八幡高坊30

    八幡市観光協会いにしえのMAP

  • 平安京

    40.斑鳩神社

    社伝によると、朱雀天皇の天慶年間(938~947)に、興福寺僧で法隆寺別当を兼務していた湛照僧都が菅原道真を祀ったとされ、また、この湛照僧都は、菅原氏の後裔といわれています。明治初めの神仏分離令により、法隆寺から離れ、法隆寺村(現在の斑鳩町東福寺、法隆寺辺り)の鎮守社となりました。

    所在地 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺北1丁目11−13

    奈良県 文化・教育・くらし創造部 文化資源活用課いにしえのMAP