地域連携事業 伊勢街道 連携事業

伊勢街道 連携事業

伊勢本街道(国道363号、国道369号を中心とするルート)及び初瀬街道(国道169号を中心とするルート)に沿った道を中心とする地域。

日本風景街道「伊勢街道」連絡協議会、関連自治体と連携し、協同でウォークや講演会などのイベントや看板整備、清掃活動などの連携事業を実施しています。

伊勢街道マップ

マップ

桜井市

奈良盆地の清流を集め大阪湾に注ぐ大和川の上流、奈良盆地の東南部に位置します。 このあたりは、東と南を青垣山に例えられる山々に囲まれ、古くは「やまとはくにのまほろば」と詠われた「ヤマト」の地域。 最古の道と言われる山の辺の道が通り、三輪山をご神体とする延喜式内社の最も古い神社のひとつ大神神社、相撲発祥の地として知られる相撲神社など数々の史跡が点在しています。 また、桜やボタンなど四季を通じて楽しめる「花の寺」長谷寺、「けまり祭」で有名な多武峰談山神社、日本三文殊のひとつ安倍文殊院など見どころも多くあります。

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宇陀市

奈良県の北東部に位置し、北は奈良市、山添村、西は桜井市、南は吉野町、東吉野村、東は曽爾村、三重県名張市に接し、古くから「古事記」「日本書紀」等の歴史書のなかに記載がみられ、神武伝承の舞台としても知られています。また「万葉集」では柿本人麻呂の「かぎろひ」の歌等にも詠まれており、これらのことから古代における王朝との関わりをうかがうことができます。 また、大和と伊賀・伊勢を結ぶ東西の交通の要衝であり、室町時代に始まり江戸時代に盛んになった庶民のお伊勢参りのルートにあたり、宿場町として繁栄しました。 室生には、日本武尊伝説や龍神伝説、また弘法大師による逸話などが数多く残され、古来より信仰・聖地として人々の心のよりどころとなってきました。

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大淀町

奈良県中部、吉野川右岸に位置します。吉野郡の玄関口として、古くから商工業が栄え、梨やお茶などの生産地としても有名です。また歴史に残る能楽シテ方五流のうち、大和四座と呼ばれる観世の流れを持つ「桧垣本の猿楽」があったところ。 聖徳太子ゆかりの世尊寺、役行者の創建と伝わる泉徳寺などいにしえの人々の心に触れられる数多くの文化財が残されています。

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御杖村

御杖村は、奈良県と三重県の県境に位置し、古くから伊勢・伊賀地方との関係も深く、また東海・中部地方と近畿地方を結ぶ交通上の要地に位置しています。 特に、中世までは奈良盆地や大阪方面から伊勢参宮のための伊勢本街道が発達し、御杖村はちょうどその宿場としてにぎわいをみせました。 また、天照大神をお祀りする場所を求めて旅していた倭姫命が、候補地のひとつとして杖を置いたとの伝承が残され、御杖神社や四社神社、春日神社、安能寺など古社寺が点在します。

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曽爾村

奈良県の中央部より、やや北よりの東北端に位し、北は三重県名張市、東は、三重県津市、南は御杖村、西は宇陀市に接しています。 村の西側には岩肌もあらわな鎧岳、兜岳、屏風岩など、珍しい柱状節理の美形は国の天然記念物に指定されています。また、東側に位置する曽爾高原一帯は室生赤目青山国定公園に指定され、美しい自然を有しています。 古来より、漆部の人々が曽爾川沿いに済み、漆塗りの原汁を採取して、朝廷(奈良~平安時代)に献上していたと伝えられています。

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伊勢市

三重県の中東部、伊勢平野の南端部に位置し、北は伊勢湾に面し、中央には宮川や五十鈴川、勢田川が流れ、また、東から南にかけては朝熊岳、神路山、前山、鷲嶺が連なり、西には大仏山丘陵が広がる緑豊かな都市です。 市域の3分の1を占める伊勢神宮の門前町で、古くからの伝統が今も生き続けています。伊勢街道の終点、伊勢神宮は古くからの信仰の場であり、庶民のあこがれの場です。同時に伊勢には行楽の場としての顔もあり、それは今も街のあちらこちらで感じることができます。

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名張市

三重県の西部、伊賀地域に位置する名張市は、江戸時代、名張藤堂家の城下町として栄えた町。名張藤堂家は、織田信長の重臣丹羽長秀の三男で藤堂高虎の養子となった高吉に始まり、寛永13年(1636)以来、名張に屋敷を構えました。 万葉の昔から宿駅として開け、壬申の乱に際して大海人皇子が東国へ逃れる際にもこの地を経由したと伝えられているまちは、伊勢参りの宿場町が原型となっています。 名張の語源は「隠(なばり)」で、忍者のふるさととしても知られています。 赤目四十八滝や香落渓などの自然に恵まれ、三重県下でも最大規模の美旗古墳群や大阪・奈良方面から伊勢を結ぶ初瀬街道など数多くの史跡が点在しています。

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津市

三重県の中勢、伊勢平野のほぼ中心部にあり、海沿いに市街地がある臨海都市です。 古くは安濃津と呼ばれ、「日本三津」の一つとして栄えました。 室町時代から戦国時代にかけては、美杉地域を本拠とする伊勢国司北畠氏が中世都市を形成し、大変栄えました。江戸時代に入ると、築城の名手である武将藤堂高虎が伊勢国・伊賀国の領主として入り、津城を中心とした城下町として発展するとともに、伊勢参宮の街道を城下に引き入れるなど、交通の要衝として街道を整備したことにより、宿場町としてもにぎわいました。 藤堂高虎の居城・津城跡や津偕楽公園、一身田寺内町、北畠氏館跡庭園、榊原温泉など見どころもたくさんあります。

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