歴史街道倶楽部 イベント
京の冬の旅 非公開文化財特別公開 「京の御大礼 雅の御所文化」と「明智光秀と戦国の英傑たち」
泉涌寺 霊明殿
大徳寺 法堂 狩野探幽筆天井画「雲龍図」
大徳寺 総見院 織田信長像
光照院 本堂 花天井
通常非公開の文化財を見学する「京の冬の旅」シリーズ。今年のテーマ「京の御大礼 雅の御所文化」と「明智光秀と戦国の英傑たち」の中から、今回は「泉涌寺 霊明殿・御座所」「大徳寺 法堂・方丈・唐門/総見院」「光照院(旧常磐御所)」を訪れます。各公開箇所ではガイドによるご案内も行っています。お楽しみの昼食は、ハイアットリージェンシー京都ホテル内のレストラン「東山(Touzan)」にて、季節の日本料理をご堪能いただきます。
【泉涌寺 霊明殿・御座所】 ~「御寺」と呼ばれる皇室の菩提所~
皇室の菩提所で「御寺(みてら)」と呼ばれる真言宗泉涌寺派の総本山。霊明殿は、明治17年に再建された宸殿(しんでん)風の建物で、荘厳な堂内には歴代天皇の位牌を祀る。御座所は、現在も皇族の方が休憩時に使用される建物で、江戸時代の宮廷絵師・土佐派の筆による「錦花鳥」の障壁画で飾られた「玉座の間」ほか「皇族の間」「女官の間」など6室に分かれている。皇族の念持仏三十数体を祀る海会堂(かいえどう)や、池泉式庭園もみどころ。
【大徳寺 法堂・方丈・唐門】 ~戦国武将ゆかりの大禅刹の「鳴き龍」~
22の塔頭寺院をもつ臨済宗大徳寺派大本山。法堂(重文)の迫力ある天井画「雲龍図」は、絵師・狩野探幽(かのうたんゆう)35歳の時の力作といわれ、手を叩くと龍が鳴いたように音が法堂内に響くことから「鳴き龍」とも称される。方丈(国宝)には、探幽の代表作「山水図」などの障壁画(重文)がある。さらに豊臣秀吉の聚楽第の遺構と伝えられ、豪華な彫刻が施され見とれて日の暮れるのも忘れてしまうことから「日暮門(ひぐらしもん)」と呼ばれる唐門(国宝)も間近で拝観できる。
【大徳寺 総見院】 ~戦国の覇者・織田信長の菩提寺~
天正11年(1583)、豊臣秀吉が創建。信長の葬儀が執り行われた地であり、境内には信長ほか一族の墓が並ぶ。本堂の織田信長坐像(重文)は「本能寺の変」に斃れた信長の一周忌法要に合わせて香木で作られたもの。運慶・湛慶の流れを汲む仏師・康清(こうせい)の作とされ、高さ約115㎝の衣冠帯刀の姿で、眼光鋭い表情が印象的である。
【光照院(旧常磐御所)】 ~樹齢500年の五葉松の茂る尼門跡寺院~
南北朝時代、後伏見天皇の皇女・進子(ますこ)内親王(自本覚公宮(じほんかくこうのみや))によって創建され、「常磐御所」とも呼ばれた尼門跡寺院。境内には、昭和天皇御大典の時の大嘗宮(だいじょうぐう)朝集所の建物を移築した常磐会館が建つ。鎌倉時代初期に造られた本尊・清凉寺式(せいりょうじしき)釈迦如来立像が祀られている本堂は、南画家の田能村直外(たのむらちょくがい)が描いた80面の花天井がみどころ。また、見事な枝ぶりの樹齢500年の五葉松が茂る枯山水庭園が美しい。
募集内容
実施日 | A:2020年2月15日(土) B:2020年2月19日(水) 雨天決行 |
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集合場所 | JR京都駅2階 |
受付・集合 | 10:00 |
募集人数 | 40名様(先着順/最少催行人数25名) ※会員の同伴者も受付いたします。但し、申し込み時に会員加入手続きをお願いいたします。 |
参加費用 | お一人様 14,000円(税込) ※行程中の貸切バス代、昼食代、拝観料、旅行傷害保険を含みます。 集合場所までの往復交通費、行程中の個人的費用は含みません。 |
主催 | 歴史街道推進協議会 |
行程
JR京都駅10:00===泉涌寺===ハイアットリージェンシー京都(昼食)===大徳寺
===光照院===京都駅17:00頃 解散
※道路状況その他諸事情により解散時間等が変更になることがあります。
※行程順序等が入れ替わる場合がございますが予めご了承ください。
※お申し込みの方には実施10日前頃に詳細を書面にてご案内いたします。
申込方法
ハガキまたはFAX、メールに会員番号、氏名、電話番号を明記の上、
歴史街道倶楽部 「京都A」または「京都B」係
までお申込みください。
住所: 〒530-0005 大阪市北区中之島2-2-2 大阪中之島ビル7階
FAX: 06-6223-7234
メール: club-info@rekishikaido.gr.jp
申込締切日
2020年2月3日 (月)
レポート
実施日:A:2020年2月15日(土)
B:2020年2月19日(水)
雨天決行
参加人数:50名
参加を決めた動機は、地元に生まれ育った割には「京都」のことが灯台下暗しであること。現在、京都検定2級を取得しており、さらに1級をめざして自己研鑽することが必要と考えたからです。
最初に訪れた泉雄寺の御座所は、現在も皇族の方が休憩時に使用される建物です。江戸時代の宮廷絵師、土佐派の筆による「錦花鳥」の障壁画で飾られている「玉座の間」ほか6室を見学。雅な御所文化を堪能することができました。お昼はホテル内のレストランにて季節の日本料理をいただきました。
腹ごしらえのあと、一路大徳寺へ。法堂では迫力のある天井画「雲龍図」に目を奪われました。絵師、狩野探幽(かのうたんゆう)35歳の力作。手を叩くと龍が鳴いたように音が法堂内に響くことから「鳴き龍」と称され、その大きさに感嘆しました。豊臣秀吉の聚楽第(じゅらくだい)の遺産と伝えられる唐門は、豪華な彫刻に見とれて日の暮れるのも忘れるということから「日暮門(ひぐらしもん)」とも呼ばれ、後世の日光東照宮を彷彿とさせます。塔頭の総見院では、秀吉が信長の一周忌法要に合わせて香木で作らせた織田信長坐像が目をひきました。眼光鋭い表情が印象に残ります。
光照院は、南北朝時代の後伏見天皇の皇女、進子(ますこ)内親王が創建。「常磐御所(ときわごしょ)」とも呼ばれた尼門跡寺院です。鎌倉時代初期に造られた本尊、清凉寺式釈迦如来立像をまつる本堂では、南画家の田能村直外が描いた80面の花天井にしばし見とれ、樹齢500年の五葉松の見事な枝ぶりに感動しました。
京の文化の奥深さに想いを馳せながら、次回の素晴らしい美との出会いを期待して京の町をあとにしました。
歴史街道倶楽部会員誌『歴史の旅人』より転載
大徳寺三門「金毛閣」の横を通り方丈へ