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読者の投稿 令和元年11月30日(土) 南海・歴史探訪ガイドウォーク あなたの知らない歴史秘話 第5回 楠公ゆかりの地を訪ねて~楠公夫人遺跡の新たな発見・その秘話~
朝から晴天でちょっと肌寒いなか、本日の集合場所の南海高野線三日市町駅に向かいました。 今年のテーマは、『あなたの知らない歴史秘話』です。 本日のコースは、三日市町駅前が受付場所で、その後、多聞丸像→楠公通学橋→葛ノ口→観心寺→楠妣庵(昼食・ゴール)の約7kmです。
いつもどおり、ちょっと早めの9時頃に受付場所に着いたのですが、すでに1・2班は出発していて、私は3班に入りました。 本日の実参加者は46名だったそうです。 最初の見学は、三日市町駅のすぐそばにある多聞丸・学ぶ像です。 三日市地区にゆかりの深い「多聞丸・楠木正成の幼名」が、学者の大江時親から学問を学ぶ姿で、少年期に観心寺の僧から一般教養を学び、その後。加賀田の大江家まで約8キロの道を毎日休むことなく通い、日本最古の兵法書「闘戦経」を学んだそうです。
三日市町駅前には、高野街道が通ています。 その高野街道と直角に交わる道の先に掛かる橋が、楠公が大江家に通った道で、楠公通学路と呼ばれています。 ここから暫くは上り坂が続き、登り切った所からは暫くは緩い下り坂となります。 その途中の小高い山の上に鎮座しているのが、笠松稲荷社です。
10時過ぎに観心寺に着き、トイレ休憩を取りました。紅葉狩りを兼ねた入山者が多いため、境内には入りませんでした。
観心寺を出て、比較的車の通りが多い道を小吹台に向かって登って行きます。
坂道を登り、小吹台口バス停近くから旧道の急な下り坂を進みます。坂道を下りきる少し手前の左側にあるのが、楠妣庵観音寺です。楠木正行(正成の長男)が1339年に崩御した後醍醐天皇を悼み、この地に後醍醐天皇の念持仏だった千手観音を安置したのが起源と言われています。その後、四条畷の戦いで討ち死にした二人の息子を弔うため、正成の正室・久子がこの地に草庵を結び隠棲した場所です。
今回のウォークはここが昼食会場で、ゴールとなります。ゴール受付で、全5回のウォークに参加した人には、完歩賞が渡されました。もちろん、私は完歩賞を貰いました。 食事後、南海電車を利用する人たちは、小吹台口バス停へ、近鉄電車を利用する人は甘南備バス停に向かい、帰路に着きました。 来年も4月頃から、「南海歴史探訪ガイドウォーク」が実施される予定です。