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歴史街道倶楽部イベント報告 2019年5月26日五感VOL38 再建された興福寺中金堂と周辺の古建築で学ぶ日本の伝統建築技術
5月26日、近鉄文化サロン・歴史街道倶楽部共催講座 五感で体感!にほん文化シリーズVOL.38「再建された興福寺中金堂と周辺の古建築で学ぶ日本の伝統建築技術」を実施しました。 今回は、興福寺・十輪院・元興寺の見学に加え、菊水楼での昼食、約50分のセミナーも含めたイベントです。講師・ナビゲーターは、大阪電気通信大学工学部建築学科教授 矢ヶ崎善太郎氏にお願いしました。 ■興福寺 中金堂 中金堂は、興福寺の最初の堂宇として、和銅3年(710)の平城遷都と同時に藤原不比等により創建されました。創建より6回の焼失と再建を繰り返し、享保2年(1717)に焼失ののちは文政2年(1819)に規模を縮小した「仮堂」を再建。その後、老朽化が進み、平成12年(2000)に解体。平成30年(2018)に創建当時の様式で復元されました。 藤原鎌足ゆかりの釈迦如来坐像、法相宗の祖師を描き教義の系譜を示す法相柱、鎌倉再興期の傑作・四天王立像などを見ることができます。 矢ヶ崎先生からは、興福寺 北円堂・東金堂・五重塔・南円堂・三重塔についても解説をいただきました。
■十輪院 ならまちのなかにあり、元興寺の一子院と言われます。 創建は不詳。室町時代末期までは寺領三百石だったと言われますが、兵乱等により多くの寺宝が失われました。その後、江戸時代初期、徳川家の庇護により寺領五十石となりました。明治時代の廃仏毀釈で打撃を受けたものの、本尊の石仏龕、本堂、校倉造の経蔵などが残り、創建初期の様子を今に伝えています。
■元興寺 崇峻天皇元年(588)、飛鳥の地で建立に着手された法興寺が元興寺の前身と言われています。やがて都は飛鳥の地から藤原京を経て平城京へと遷り、「続日本紀」によれば、養老2年(718)に飛鳥の地にあった法興寺を平城京に遷したという記録が見られます。この際、寺名を法興寺から元興寺に改めました。飛鳥から平城京へ移転したころの元興寺は巨大寺院であり、現在のならまちの大部分はかつて元興寺の境内地でした。 寄棟造で妻入の極楽堂、屋根の一部に飛鳥時代の瓦を使って行基葺きを復原している禅室、往時の建築規模を知ることができる礎石、怖い言い伝えのある蛙石、五重小塔・阿弥陀如来坐像・聖徳太子立像・聖徳太子十六歳孝養像などがある総合資料庫など、見どころの多いお寺です。
矢ヶ崎先生には、柱による建物の格式の違い、時代により柱の加工が変化していったこと、したがって建築様式や建築資材・道具から建築時期がわかること、「復元」と「復原」の違い等々を丁寧に解説していただき、参加された方からは「これから新たな視点で古建築を見ることができる。楽しみが増えた。」とのお声をいただきました。 歴史街道倶楽部「五感で体感!にほん文化シリーズ」では、味覚・嗅覚・視覚・聴覚・触覚プラス第六感をテーマに、日本文化の魅力を体感していただきます。そのほか、セミナーやウォーク、歌舞伎や文楽などの伝統芸能観賞会など、歴史文化に触れていただくイベントも定期的に実施しています。皆様のご参加および歴史街道倶楽部へのご入会をお待ちしております。