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歴史街道倶楽部イベント報告 2019年5月18日 吹田市千里山の街並みに大正・昭和の面影をたどる
5月18日、歴史のまちウォーク「吹田市千里山の街並みに大正・昭和の面影をたどる」のイベントを実施しました。 今回は、「吹田まち案内人」の皆さんに関西大学キャンパス・千里山団地など、千里山丘陵地帯をご案内いただき、その歴史に触れました。 土曜の朝9時前。1時間目の授業に向かう大勢の学生でごった返す阪急関大前駅よりイベントをスタートし、南門から関西大学キャンパス内に入りました。
関西大学は、1886年(明治19年)、関西法律学校として設立、1922年(大正11年)、「大学令による関西大学」として認可されました。現在は、13学部で約3万人が学ぶ大規模な大学となっています。 関西大学会館、第3学舎にかけてのエリアには、かつて「千里山花壇(千里山遊園)」と呼ばれる遊園地が存在していたそうです。 広大なキャンパス内には、関西大学会館、円神館、簡文館、KUシンフォニーホール、誠之館など、村野藤吾の設計による建物が19棟残されています。 村野藤吾は、そごう大阪店(現存せず)、宇部市渡辺翁記念会館(重要文化財)、橿原神宮駅舎、世界平和記念聖堂(重要文化財)、新歌舞伎座(現存せず)、都ホテル大阪(現 シェラトン都ホテル大阪)等々、数多くの作品を残した建築家です。円形や曲線、タイルの多用などにその特徴を感じながら学内を巡りました。
法文坂をのぼった右手には、株立ち9本、幹回りの合計が約12メートルという吹田市内で最大級のクスノキがあります。 また、高松塚古墳壁画再現展示室や、第一学舎1号館には、オーストリアで発見された「豊臣期大坂図屏風」の復元陶板も見学しました。
約1時間半かけてキャンパス内を巡り、北門より関西大学を出たあとは、佐井寺図書館に向かいます。ニュータウン開発が始まる前までの千里山が「ちさとやま」と呼ばれていたことから、「ちさと」図書館と呼ばれています。三島郡千里第二尋常小学校の木造校舎を再現した西館は、レトロで可愛らしい佇まいです。
次に訪れたのは千里山団地です。1957年(昭和32年)に日本住宅公団(当時)により千里山駅東側に建設された千里山団地は、関西で最も歴史のある団地のひとつであり、建設当時、ダイニングキッチンや水洗トイレなどを備えた集合住宅団地は、人々の憧れの的となっていました。建設から半世紀を過ぎ、建物の老朽化が進んだため、UR都市機構が再開発プロジェクトを計画、2017年(平成28年)に新しい千里山団地として生まれ変わりました。
続いて千里山キリスト教会に向かいました。 河辺満甕牧師により、1948年(昭和23年)にキリスト教会として活動を開始、1962年(昭和37年)に礼拝堂等が建設されました。 しばらく休憩を取り、丘陵地帯のアップダウンで疲れた足を休めたら、千里山神社に向かって再出発です。
阪急千里山駅から徒歩数分の高台にある千里山神社は、1926年(大正15年)、伏見稲荷から末広大神を観請、古くから地の神である春姫(白瀧神)と合祀し、地域の氏神様として親しまれています。
千里山第一噴水の石碑には、千里山西側が住宅地として開発された歴史が刻まれています。
イベント最後の場所・千里寺の本堂は、もともと昭和天皇大嘗祭に際し、賓客をもてなす会場として京都御所に建てられた建物です。関西大学で講堂・武道館として使用されたのち、1953年(昭和28年)に現在の地に移築されました。イベント当日は、法要のために見学ができませんでしたが、内部の天井やシャンデリアは国登録有形文化財となっています。 約6キロの道のりを歩き、イベントは終了です。坂道のウォーク、お疲れさまでした!
歴史街道では、セミナーやウォーク、歌舞伎や文楽などの伝統芸能観賞会など、歴史文化に触れていただくイベントを定期的に実施しています。皆様のご参加および歴史街道倶楽部へのご入会をお待ちしております。