スタッフレポート

第1回 大阪・奈良歴史街道リレーウォーク 佐紀盾列古墳群を巡って 朱雀門ひろばへ

令和元年5月3日  大阪・奈良歴史街道リレーウォークの第五幕として「街道沿いの伝統産業やグルメを訪ねて」が始まり、令和元年度第1回目のウォークがNPO平城宮跡サポートネットワークの運営により開催されました。 当日の天候は晴、気温が少し高めでしたがウォーク実施に適した気候となりました。 9時に近鉄京都線平城駅前にて受付が行われ、約60名の方々が参加されました。 参加された方々を班分けし、その後開会行事が行われ、会長である堺観光ボランティア協会の木村さまのご挨拶が行われ、その後に恒例の大会旗の受け渡し等が行われました。

大阪・奈良歴史街道リレーウォーク

開会行事を終え順次スタートしました。 駅前から東方面住宅街の坂道を進みます。 しばらく歩くと緑の樹木に囲まれた遊歩道に出ました。成務天皇陵と日葉酢媛陵(ひばすひめのみことりょう)に挟まれた遊歩道です。2つの古墳についてガイドさんから説明を受けました。 日本書記によれば、成務天皇は地方の国県の区画を定めて国、郡(こおり)、県(あがた)、邑(むら)のそれぞれに首長を置いたと伝えられ在位60年で崩御されたこと、また日葉酢媛陵については、当時垂仁天皇が皇族が亡くなった時、近習の者たちを生きたまま墓の周りに埋めた習慣に心を痛めて殉死を廃止し、そして日葉酢媛が亡くなった時に人の代わりに埴輪を陵墓に立てる献策(天覧相撲で当麻蹴速「たいまのけはや」を打ち負かした野見宿禰「のみのすくね」の案)により埴輪作りを命じて実行したという伝えを説明していただきました。

次に進み、ちょっとした山登り的なコースを歩きます。 この小高い丘が瓢箪山古墳です。 国史跡の前方後円墳で、墳丘(ふんきゅう)周りの風景は遮る物が無く眺めの良い場所で、登れる古墳は珍しいと思います。 続いて仁徳天皇の皇后だった磐之媛命陵(いわのひめのみこと)に向かいます。 この古墳は南面に2重の壕をめぐらす5世紀の前方後円墳で、「万葉集」には夫(仁徳天皇)を慕う皇后(磐之媛命)の心が切々と詠まれています。また堺市から参加された方が、仁徳天皇の皇后だった方が祀られている磐之媛命陵に来る機会が出来良かったと感激されていました。

住宅街を南に歩くと遠くに平城宮跡公園が見えてきましたが、少し北側にある平城天皇陵に向いました。 この古墳に祀られている平城天皇は平安京に遷都して間もない時代の「天皇」として806年から809年まで、わずか3年余りに過ぎないその短い治世を過ごした存在とされています。また病気による退位後は「上皇」となり、その後の平安京を治めることになった嵯峨天皇と対立を深めることになり、平城京・奈良への再遷都を画策し挙兵を行う薬子の変の当事者となり、敗北し出家したという経歴を持つ天皇でした。 平城天皇陵の拝所から南に戻り、世界遺産である平城宮跡に入ります。 広大な敷地には北側に大きな第一次太極殿が建てられています。今回は敷地の西寄りから進入し現在修復中の南大門の横を通ってゴールである朱雀門を目指します。 朱雀門前では天平祭が行われ沢山の人々で賑わっていました。 ガイドさんから解散の挨拶が行われ天平祭は自由見学となりました。 ウォークにより歴史ロマンを堪能した後は華やかなお祭を味わう贅沢な一日となりました。 企画運営していただきました皆さま、ありがとうございました。 大阪・奈良歴史街道リレーウォークは地域の魅力を訪ねて続きます。 また楽しいウォークをお願いいたします。

国立平城宮跡歴史公園